オレだ。
Tumblrは短いブログ(Tumblog)を専用に書くためのツールとして作られたらしいんだけど、
そもそもSNSもTwitterもTumblrも、Flickrもブログも、ぜんぶ日記を書くためのツールだよな。
メールだって広義の交換日記と言えなくもないし、人間は自分の考えや自分に起きた出来事を記録しておきたいっていう本能があるのかもしれないな。
しかし、紙の日記→Webの日記になったときのインパクトってのはオレもこっそり日記サイトとかやってたから覚えてるんだけど、Webの日記→SNSとか、Webの日記→Tumblrとかってのは、まあたしかに面白いんだけど、紙からWebへの進化ほどのインパクトは正直ないと思わないか?
こういうのって、進化しているようでみえて実は袋小路に全速力で突っ込んで行ってるような気がしてならない。
10年後も人類はブログを書いてるのか?Twitterに戯れ言を垂れ流しているのか?それとも全く別の、オレには想像もできないようなライフスタイルを送ってるのか。
どんな映画でも、3まで出たらもうネタ切れじゃん。
4とか出ても「なんだかなあ」って感じにしか成らない。「おおっ」とか思わないよね。釣りバカ日誌の最新作が出ても。
「エンジェルバンク」って漫画に「国家機能の寿命は200年」っていう話が書いてあって、おれはサービスというかライフスタイルも似たように寿命があると思った。
つまり寿命ってのは、元来、生物学的な特性のみから由来するものではなく、システム上の欠陥から由来するものではないかってことだ。
うちは83の婆さんがまだ生きちゃいるが、ボケすぎてオレが誰かも解らない。
誤解を承知で言うが、オレの中で婆さんはもう死んでるんだ。
少なくとも「淀橋チズ」っていう情報としての女は、もう死んでる。彼女は今や自分がだれがだれやらもわからない、オレは大事にしてもらったから、今の婆さんも大事にするが、オレの中での婆さんは既に死んでいる。婆さんの亡骸を大事に扱うのと同じように、オレはボケた婆さんに接しているんだ。それでも婆さんの肉体はいつか死んでしまうだろうし、そのときもおれはきっと大事にすると思う。
意外と、今のソーシャルメディアもそんな感じじゃないか。
今、新しいソーシャルメディアサービスが出ても、誰も驚かない。
0から1になったときはみんな驚くけど、1が2になったり、100が101になったりしても感動しない。
それはしょうがないことだけど、それでも技術や経験は積み上げて行くものだから、それを土台に発達させて、発達させた結果がTumblrになった。けれどもTumblrが人生初のソーシャルメディアだっていう人が大量に発生する状況ってやつを、オレはちょっと想像できない。
つまりTumblrってのは、オレにとってはソーシャルメディア界におけるスターウォーズ、エピソード6であり、この先の続きっていうのは、もう見なくてもいいかなっていう感じなんだ。
Windowsだって3.0、3.1の次は95になったわけだし、要するにまあ似たようなものでも、名前とかコンセプトとかをガラッと変えないと次の時代を作って行けないということだと思う。
Tumblrってのは、いわば最新型のLeica M8.2みたいなもんで、すげえ立派なシロモノだし、誰もが値打ちを認めるけど、万人が使う訳じゃない、というものになってる気がする。
これは進化だが、同時に袋小路に入ってるということでもある。
それでもって、Tumblrより進化してるソーシャルメディアってのは見当たらないし、なんていうか、セルの完全体みたいな感じになってるから、そろそろ連載も終わりかなって(無理矢理続いたけどね)。
(ケイス)
— 電脳の地平線: Tumblr=ソーシャルメディア3.0説 (via jinakanishi) (via oharico)
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